ちょっとダルビッシュ有さんの思考が凄すぎたから熱いうちに書いておきたい。
『僕にはすごく責任があると思うんです。』
続いて
「野球をやりたいけどできない人もいる。その人たちがもしできたら、全部をかけてやる。そこだけはずっと忘れないようにしてる。だからなるべく一番上に行きたいと野球では思う。その分、責任を持ってやらなければならない。」
何たる責任感。
_(:3)∠)_夢番地みたいなこと言ってー。
僕が立ってる場所は誰かが願ってる場所で、誰かが立っている場所は僕が望む場所、的なネ。
責任を意識させていただくと、僕は自分のためだけじゃない気がしてチカラが湧いてくる。
今年、幼少からお世話になった母さんの一番の親友だったおばちゃんがなくなった。
死ぬのが嫌だって、おじちゃんを残して逝くのが心配だって、母さんとの電話でやっと泣くことができたんだって。
いま書いてても涙がでる。
最後にその人から教わったのは、どんなにもっと生きたいと願っても生きれなかったこと。その人はもしもっと長く生きるためにできることがあったら、きっと全てをかけてやってたんだと思う。
しばらく帰国できてないから墓参りにも行けてないけど、せめて今世はお世話になりっぱなしだったその人に恥ずかしくないように生きたい。
生きたくても生きれなかった人がいる中、生きてる自分の生に少しでも責任を感じたい。
って考えだしたら、やることなすこと全てに責任を感じれることに気づいて、心へし折られそうになったから、とりあえずおばちゃんの願い分、生きてることの責任は今後もずーっと意識するわな。
生きてないことが今までにないから、たらればなんだけど、
きっと生きてたから嫁さんと出会えたし、生きてたから娘とも出会えた。生きてたから仕事できるようになったし、生きてたから仕事をしんどく感じることができた。生きてたからブログを書くことができるようになったし、生きてたからおばちゃんへの感謝や恩義を忘れずに居れてる。
おばちゃんが僕に教えてくれたように、僕も誰かに生きれていることの尊さを伝えられるように生を全うするねー。
墓参りの時は山ほどの花と山ほどの土産話と山ほどの感謝を持ってくわー。
あー。もう会えないのかー。もっと感謝伝えておけばよかったなー。
アメリカにおばちゃんが居てくれたから、安心して単身で留学できたんだよなー。
おじちゃんから教えてもらった、デスクは常に整理整頓、綺麗に掃除しとけってのをずーっと守ってて、そのおかげでそこそこ仕事できるようになったって、おばちゃんの旦那さんスゲーってことを伝えておきたかったなー。
まーいいや今は、とりあえずまた今度ね!
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